8 July, 2014
→Part 1
ミネイロンの惨劇
悲劇、惨劇、悪夢、屈辱、崩壊、虐殺、破滅…
あらゆる絶望の言葉を並べてもまだ足りない、この先年十年と語り継がれるであろう歴史的事件が起きた。
熱狂の渦の中キックオフのホイッスルが鳴る。誰が音頭をとるわけでもなく自然に生み出される圧倒的なブラジルのホームの雰囲気に武者震いする。そんなサポーターの後押しもむなしく、試合開始11分後、惨劇の序章がはじまる。ドイツのミューラーがブラジルゴールを揺らした。歓喜に湧くドイツサポーター、それを掻き消すように一層ボルテージをあげるブラジルサポーター。スタジアムは両サポーターの地鳴りのような大歓声に包まれる。
そして”魔の6分”を迎える。ドイツの容赦ない攻撃によりブラジルの守備は崩壊する。前半23分クローゼの2点目の追加ゴールに悲鳴が聞こえる。ざわめきがまだ残る24分クロースが3点目のゴールを決める。立て続けに26分再びクロースにより4点目のゴールでネットを揺らした頃には失望が絶望に変わっていた。泣き崩れる人、放心状態の人、怒りを通り越してしらける人。これ以上は観てられないとスタジアムを去ろうとする最中にも、29分ケディラに5点目をお見舞いされる。もはや悲鳴もでない。ドイツのゴールに絶叫し拍手をするカナリア色のサポーターもでてきた。
それはまさに悪夢、多くのブラジルサポーターが目の前で起きている信じがたい現実を受け入れられないでいた。自分はこの惨劇の中どんな面をしていたのだろう。スタジアムのあちこちで喧嘩や乱闘の小競り合いが起き試合どころではないという形相の観客もいたが、むしろ喧嘩どころではなかった。降りかかるビールや人を払いのけ歴史的瞬間をじっと俯瞰していた。
ブラジルに来てから一ヶ月以上ブラジリアンファミリー宅でホームステイをしてブラジリアンの友達と過ごしていもう半分ブラジリアンになっていた。文字通り目を覆いたくなる光景。強かった父が手も足も出せず殴り倒されているそんな気分だ。そこに王者の面影はもはやない。失意のどん底に突き落とされた。
前半終了時点で5-0。これがボクシングならタオルが投げられていただろう。しかしサッカーは時にボクシングより過酷。浴びせられたのはブーイングの嵐。それでも選手は後半45分もフィールドに立たなければいけない。戦意喪失したセレソンは、逆転をしたい気持ちより、6点目の失点をしたくない、一秒でも早く試合が終わって欲しいという気持ちの方が強かったのではないだろうか。
後半が始まってもドイツは手加減無し。止めを刺した相手になおも全力で攻撃の手を緩めない。そこにゲルマン魂を感じた。69分、不名誉な記録に並ぶ屈辱の6点目がシュールレから生まれる。ドイツのカーニバル。79分、再びシューレルが歴史的悲劇を塗り替える破滅の7点目を記録すると、まだスタジアムに残ったブラジルサポーターはスタンディングオベーションでドイツを讃える。その後、ブラジルサポーターからドイツがパスを回すたびにかけ声がかかる。もちろん、これは味方のすばらしい闘いを賞賛するときに起きるもので決して相手チームにかけるものはではない。終了間際にオスカルが1点を返すがスタンドからは今さら遅いと言わんばかりのブーイング。そして砲撃終了を告げるホイッスル。
1-7 (Seven)
目を疑うスコアに、Sevenと読みがなをふるニュースもあった。 いつもならカーニバルのようなスタジアムからの帰路はお通夜というより今日は何もなかったかのなような雰囲気が余計に辛かった。
このまま家に帰る気分にもならず一人でセントロのパーティーエリアへ繰り出す。
→Part 3
著者:Ken Utsumi #u23ken
『世界23周の旅』3周目中。未来の働き方・生き方に挑戦する。24歳のときトロントで起業。留学&就活を支援。未来法人U23代表CEO兼デザイナー。神戸生まれ、サッカー好き、旅人。