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Visdigal(ビジガル):リオデジャネイロの美しきスラム街Favela(ファベーラ)

Sun, June 1, 2014 @Visidigal

昨日は高級住宅街、本日は真逆のスラム街ビジガルのファベーラを訪問。 南アフリカでもそうだったが貧民街に行くとき、サファリや野生動物を見に行くように物珍しそうに見学に行くのはそこで暮らす人に嫌な思いをさせないだろうか思うことがある。同時に、そこに住む人と話すと歓迎してくれたり来てくれてありがとうと言われることも少なくなく、いつかどこかで何かの役に立つかもしれないという想いやまだ見ぬ世界を見てみたいという好奇心や複雑な思いが交差する。いろいろな世界を知ることは経営者、人間としての視野を広げてくれるし、あの学校では学べないクリエイティブなアートやライフスタイルはクリエイターとしての感性を刺激する。これでもできるだけそこにいる人の生活を乱さないように気を遣い、交流できるなら楽しんでもらえたらと振る舞っているつもりだ。日本人観光客は変な空気を読むのは得意なのに、肝心なところで配慮にかけると言われるのでそうならないように気をつけたい。こういうものの見方は日本を外から見て外国人といっしょに旅をして身に付いた。

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ファベーラとは、リオデジャネイロやサンパウロなどブラジル都市部にある丘の上のスラム街。山の斜面や崖にレトロな小屋がぎっしり並ぶ。夜になるとその密集した家の灯りがリオの夜景を彩る。 今日は、昨晩イパネマビーチから美しい光を放っていたその場所へ行き、昨晩はしゃいだビーチの夕暮れを眺めるプランだ。昔ここに住んでいたという人に案内してもらい海岸線をバスで走りながらファベーラへ向かう。丘の麓あたりからコパカバーナやイパネマと雰囲気が違うのがわかる。元気な地元の少年たちがボールを蹴っている。はにかみながら冗談を飛ばすヨーロピアンらしきバックパッカー。激しい傾斜の狭い道はモータータクシーと呼ぶバイクのタクシーに一人ずつ乗って登る。ボロだから対した速度はでないが自分で操縦できないバイクの後部座席に股がるの時はいつも緊張する。

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崩れかけの家、壊れかけの車、破れたTシャツ、壁の落書き。このファベーラの貧しい生活の雰囲気は他の国の貧困層が暮らす風景と比べてもそれほど珍しいものではなかった。もっと深い時間を過ごしたり他のファベーラに行けばまた違うのだろうが、”リオのファベーラ”と構えなければで特筆することはあまりなかった。食事をするところや物を売っているところ泊まるところもある。相変わらずストリートアートはレベルが高いし、山頂から見渡す眺めも美しい。

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メディアの情報を鵜呑みにしたり、映画『シティ・オブ・ゴッド』のイメージを持っている人はネガティブな印象しか持ってないと思うが、明るいイメージを持たれる場所になることを願う。ちなみにあの映画は2002年、舞台は60年代から80年代。カンヌ国際映画祭やアカデミー賞でも評価されたこの映画は名作で、実話を元にした脚本で、スラム街の素人をキャストにアドリブ主体の演技はリアリティを高める。重いテーマをMTVのようなスタイリッシュな音楽と映像を描いている。ブラジル大統領も観るようにすすめたとか。

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命が惜しければ近寄るなと言われた犯罪の巣も、調べたり話を聞くうちに見える世界が変わっていった。リオデジャネイロには何百以上のファベーラがあり安全な地域もある。ホステルやB&B、AirBnBの宿もあり旅人が訪れている。ファベーラで活躍するアーティストやイメージを変えていこうと活動する団体もいる。昔は貧困層の居住区だったが、今はローワー・ミドルクラス層も住むようになってきたそうだ。ワールドカップやオリンピックに向けて犯罪組織の掃討も進んでいる。観光客向けのファベーラツアーなどもある。

rio_favela_6 まだまだファベーラの本当の怖さは知らない。旅慣れしない観光客や駐在員が恐いもの見たさで行こうとするなら反対するし、怖さを知っている旅人が行きたいというなら十分注意して行けばいい。時間・場所・人による。


著者:Ken Utsumi #u23ken 『世界23周の旅』3周目中。未来の働き方・生き方に挑戦する。24歳のときトロントで起業。留学&就活を支援。未来法人U23代表CEO兼デザイナー。神戸生まれ、サッカー好き、旅人。

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Rio de Janeiro Now リオデジャネイロなう

世界23周の旅の記録をここに遺す。

ワールドカップ開幕まで14日。見てきたことや聞いたことの23%も伝わらないかもしれないけど、ブラジルに行けない人にも楽しんでもらえたら嬉しい。

 

 

Thu May 29, 2014

ペルーの首都リマにあるホルヘ・チャベス国際空港から、2014年、世界中で一番熱い国へ。

ブラジル最大の航空会社TAM航空のエアバスは、『U23(ユーツースリー)』と同じ赤と白で機体や内装がコーディネートされていてデザインの勉強になる。

南米大陸を南へ5時間ちょっとサンパウロのグアルーリョス国際空港に到着。

ブラジルの入国審査は青いユニフォームをまとい日のいづる国の旅券を持つサムライに愚問と判断したのか、W杯だな、決勝までいるのか、Good Luck、、、と笑顔でパス。航空券もイエローカード(黄熱病予防接種の証明書)の提示も求められなかった。

トランスファーの待ち時間は空港を探検した。ブラジルの空港や飛行機はあきらかに先進国のそれとは違うものを感じる。辛うじてWi-Fiがつながったのがせめてもの救いで、アウェイの洗礼というには生温いが聞いていた通り英語も通じにくい。W杯ホスト国の国際空港がこれでいいのかという印象は否めない。空港で話をした他国の旅行者やブラジリアンも嘆いていた。国内線エリアにラウンジはないし、出発ゲートも直前でよく変わるし、旅慣れしていなければ混乱する。

搭乗ゲートから飛行機まで移動するバスがかつてない距離を走る中で前回のW杯の記憶がよみがえる。2010年、南アフリカの国際空港は、それまでのイメージを覆すモダンで洗練された空港だった。賛否両論はあるにせよ、国も国民もリズムを一つに南アフリカを好きになってほしいという気概を感じた。ヨハネスブルグのホストファミリーは元気だろうか。

サンパウロからさらに東へ1時間ちょっと、リオデジャネイロのアントニオ・カルロス・ジョビン国際空港に到着した頃には、時計の針が深夜0時を回っていた。

“Rio de Janeiro Now”

仲間に居場所を伝えるTweetをしようと思ったら空港のWi-Fiがつながらない。すると隣にいた親切なブラジリアンがテザリングを貸してくれた。ブラジリアンの人懐っこさや親切さはトロントへ留学した時から知っていたがここへきて改めてそれを感じた。メディアは治安の悪さやネガティブなニュースばかり報道したがるけど、こういうよい面をもっと伝えていきたい。

ターンテーブルで荷物が流れてくるのを待っている間にブラジリアンとサッカー話で盛り上がり宿の方向が一緒だったのでタクシーをあいのりすることに。W杯の映像を創る仕事をしてるらしく、話の続きはオンラインとブラジルのどこかのバーでと連絡先を交換する。

ドライバーと二人になるとブラジルの母国語はポルトガル語なので、お互い初級の英語とスペイン語で異文化コミュニケーションを図る。黙って運転をしてもいいのに陽気に話しかけてくれる。

「山の上に見えるのがあの有名なコルコバードのキリスト像。」

深夜にも関わらず念願のブラジル到着で高揚する気持ちをさらにあげてくれる。ブラジルはサッカー馬鹿にとってイングランドと同じく昔からあこがれの国。ショートケーキの苺のようにとっておいたけどついにその時がきた。

ここで旅のTIPSを紹介しておこう。
現地についたまずやることは、地元の人に治安や交通機関、タクシーの相場など街のリサーチ。インターネットを駆使したFuture Workを推奨する身ではあるが、旅の情報は昔ながらのコミュニケーションが信用できる。はるばる遠い街から自分の街にやってきた異国人にほんの少し手助けをすることを嫌がる人は少ない。人助けをして幸せな気分になってくれる人もいれば、これをきっかけに友達になることもある。