旅とは海である

世界にはテリトリー(領域)がある。ボーダーライン(境界線)の向こうにはまだ見ぬ世界が待っている。ボーダーを超えるには見えないパスポートが必要で、それを持たずに国境を超えてはいけない。

旅のおもしろさとリスクは海に例えるとわかりやすい。
海は誰でも楽しめる楽園。ただし領域を間違えると地獄に変わる。

浅瀬でしか遊んだことのない乙女が足のつかない深いところへ行けば溺れる。ましてや室内プールでしか遊んだことのない少女がいきなり一人で深海で魚と泳ぐのは難しい。危険な海域で泳げば命の保証はない。危険を冒すからおもしろいなんて考えは狂気の沙汰。砂浜と海中とどっちがおもしろいかは誰が決めるのか。

ガイドブックという浮き輪があれば深いところでも泳げるけど浮き輪に頼っていたらいつか溺れる。その浮き輪は古くて穴があいているかもしれない。だから監視員の目が届かない安全スロープを超えてはいけない。泳げないならビーチで砂遊びをしよう。浅瀬でシュノーケリングをしよう。それで物足りなくなったら泳ぐ練習をしよう。

ツアーというボートに乗ればお金はかかるけど泳げなくても簡単に足がつかないところまで連れて行ってくれる。しかし水面から眺めるだけか、せいぜいインストラクターに手を引っ張られてちょっと水に浸かるぐらい。豪華遊覧船に飽きたら泳ぐ練習をしたらいい。

泳ぐ練習はプールではじめる。川や海で覚える人もいる。コーチがいると上達も早い。クロール、平泳ぎ、背泳ぎいろんな泳ぎ方をしたり、どれだけ早く泳げるか競ってみたり、海でもいろんな遊びができる。ビーチで泳ぐだけでなく深い海で潜り魚といっしょに泳ぎたくなったらそれなりの装備を整え本格的なトレーニングが必要だ。自分の命を守るのは自分だ。

ダイビングスーツに着替えるように、旅の服装に着替える。マスクやフィンは潜水を助けてくれる。裸で潜れるのはタフでスキルのあるダイバーだけ。

海の中で地上の常識は通用しない。地上では呼吸ができていたのに海中はできないのはおかしいと叫んだところでそれが現実。酸素ボンベをつけなければ命を落とす。前向きに異文化を受け入れよう。それが嫌ならそんなエリアへはいかなければいい。

砂に隠れている魚もいるからそれを知らなければ近くまでいってるのに素通りしてしまう。シーラカンスに遭遇してもその価値を知らなければただの大きな魚、教養のない人にとっては数千年前の世界文化遺産の遺跡もただの大きな石。奇麗な魚はただ観るだけでも美しいけどその背景を知るともっとおもしろくなる。知識は見える世界を変える。

バディがいると心強い。旅のおもしろさも広がる。いっしょに潜りたければコミュニケーション方法も覚えなければいけない。語学を学べば世界中に話せる人が増える。

海へ潜るためにはライセンスを取得する。勘違いしては行けないのが、このライセンスは潜ることが”許された”だけで、魚と泳ぐことが”できる”とは違う。

パスポートで国境を越えることは許されても、その世界を楽しむためにはまだまだ練習が必要。税関はなくても見えないパスポートが必要な世界もある。無理して慣れない海に飛び込んでもストレスフルな状態では心からダイビングを楽しめない。それどころか事故を引き起こしかねない。万が一の事故に備え保険に入ることも絶対に忘れてはいけない。

潜ることに慣れ野生の魚を覚えると、もっと野生の魚をこの目で観たくなる。いっしょに泳ぎたくなる。海と恋に落ちる。

鮮やかな熱帯魚に目を奪われ、エイとの遭遇に息を飲む。いつもより深くまで潜ったり、急に天候が悪化するハプニングに遭遇したり、荒波を乗り越えてタフになる。

危険な海底の怖さを知るものだけがその先に進んでもよい。油断して毒を持つくらげとも知らずに触ると痛い目に遭う。無知に鮫のいる海域に飛び込むと命を失う。

潜り方は覚えてもお目当ての魚と出逢えるとは限らない。運がよければウミガメと泳げる。

野生のイルカと遭遇しいっしょに泳ぐ感動は体験した人にしかわからない。

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